倉谷拓朴「依り神」に寄せて —— 木肌に土地の霊性を見る
古くて巨大な樹木を神聖な存在として仰ぐことは、地域を問わず、人類に共通の傾向であるようだ。その圧倒的な存在感と寿命の長さ、あるいは風雪に耐えて再生する姿など、その異様さに私たちは人知を超えた力を感じ取る。また巨大な樹木の幹は、死者の世界である地中と、人の住む地上と、そして神々のおわす空の上を一筋に繋ぐ媒介者でもある。そのような見立てから、日本では神々が一時的に身を預ける印、人々の前に顕現するための依り代(※1)として扱われてきた。その依り代がある条件を満たすとき、神と一体化した神木と呼ばれることになる。
その条件とは、「見られる」ことである。それも多くの人にではなく、霊性に感応する心と自然を科学する眼をもった、一種の見者(けんじゃ)によって見つめられねばならない。見者はその体験を語り伝えることで、聴衆の心に神木が具体的なイメージとして立ち現われるのだ。倉谷拓朴の「依り神」を前にすると、私もまた物語の生成過程に立ち会うような、なにか不思議な気分を味わうのである。
倉谷は日本の各地を訪ね、「御神木や神域に佇む木々を撮影対象」に定めた。その幹に近づき、精緻かつ正確にその部分を写し取ったのである。その結果、写真はそれぞれに個性的な木肌の割れ目とそこを覆う苔やつる植物によって、抽象的な美を構成した。私はその抽象性に見入りながら、フレームの外に広がっているはずの、巨木の全体像と環境の広がりとを脳裏に浮かべた。
そんな本作の撮影地リストには、仕事で深い縁のできた長野県の諏訪地域を別にすれば、主に関西以西の地名が並ぶ。奈良、和歌山、三重、福岡、熊本、宮崎は、『日本書紀』に記される神武東征の伝説をはじめ、アニミズムに基づく日本独自の信仰の成立と深く結びついている土地である。倉谷自身は宮崎を祖に持ち、関西で林業に携わってきた家系に生まれているので、その関連性を強く意識しているはずだ。本作には、彼のアイデンティティ探求と、日本的信仰の形成過程の重なりが反映されていると言えよう。作家の歩みを考えれば、このような質をもった作品に至るのは必然であった。
倉谷はキャリアの比較的早い段階から、自然や自然とともに生きる人の営みを見つめてきた。きっかけは2003 年からの、「越後妻有アートトリエンナーレ」への参加である。ことに2006 年から16 年まで、棚田の上にある古民家で「名ヶ山写真館」を開いたことが、今日に繋がっている。地元の人々の家に眠る古いアルバムを発掘し、また自らも肖像写真を撮影したのである。こうした作業は土地と人との紐帯(ちゅうたい)についての思考を深めたに違いない。
以降、この指向性は明確になっていく。2010 年代の「その森のできごと」では福島の森に棲む小さな生命たちを、ブループリント (Blueprint) という古典技法を用い、青い色彩でその形態を描出したのである。その透明感をもった青さは、原発事故が与えた影響の可視化にとどまらず、生命に対する哀悼であった。また諏訪湖周辺を見つめたシリーズでは、盛夏の頃の風景をコントラストの高いモノクロのスナップ写真によって捉えた。躍動感のあるカメラワークは、自然のなかで生きられることの率直な実感を、印象深く伝えていた。
倉谷はこのようにして、アニミズム的に対象を見る方法を体得していったのだと思う。写真によって彼の感覚を拡張させ、鑑賞者の心へとじかに伝える「見者」の技術である。それはクリアな視覚認識を与えつつ、呪術的な効果をも生む。本作においてその効果は、アンティークの額を使うことで、さらに高められている。長年人に使われ見つめられてきた、これらのフレームもまた、微かに霊性を宿しているからである。
鳥 原 学 写真評論家
(※1)依り代=神が宿る対象
